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生い立ち・・側室の子孫

2013/05/06 20:36
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私の母の曾祖母が、城主の側室だった話は、以前綴った。
娘しか生れず、戻されてしまったと・・聞いていた。
私には、城主の血は流れていないと聞いていた。
母は、『側室』イコール『妾』という存在に、長い間、悩ませられていた。



昨年暮れ、城主の家臣の家からある『覚書』が見つかった。
曾祖母は、城主と側室との間の娘で、13歳で家老の息子に嫁いだが
家老の息子が、15歳で亡くなったため、新しい嫁ぎ先をお願いしたい・・と
いう旨の『覚書』だった。そしてその城主の墓に、曾祖母の名前が記されてあった。
その後、曾祖母は、従兄弟に当たる、養子の11代当初の側室となり、女の子を生んだ。
結局、側室の娘であり、自分もまた城主の側室となったのだけれど・・・。



その事があり、正式に現在の当主から『子孫』であることを認められ
慰霊碑をたて、偲ぶ会を持った。

私は、本家ではないものの、偶然、『城主の妹が私と同じ名前で
写真が私によく似ている』・・・という面白い話を聞き
昨年暮れ、その会に参加した。

これは、私の自慢話では無い(笑)。



私の『M性』を解く鍵でもある。

私の母は、曾祖母が側室であったという事を
子供の頃から『恥ずかしい』と感じ、引き目を感じて育った。

丁度、戊辰戦争の時代で、老中を務めた城主は
幕府側に付き、敗北した。
隠せる親族は、あらゆる手段で隠した。
その結果『側室』『父無し子』と言う噂が立った。

母が、必要以上に私に『厳しかった理由』は、此処にある。

特に『性的』な事には、かなりの厳しさだった。

私は、小学校の頃から大きなおっぱいを、ひたすら隠すように躾けられ
『性』イコール『悪いこと』と思い込まされてきた。

それでも、私のおっぱいは、下品に目立ち、私は常に罪悪感を持ち続けた。
これが今の私が『おっぱい責め』を望む理由かも知れない。



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時代のせいもあったが・・『女性』は、『品物』であった。

子孫を残す道具でもあり、慰めものでもあった。

そして・・淫らでなければ・・・生き続けられなかった。


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現在の当主の方が、私に興味を持って下さり、お会いして出筆された本に
名前を書いて頂いた。一緒に写真も撮って頂いた。

何処か、面影が私の兄に似た城主の顔を見て
私も、確かに・・・どこか似た処もあるのかもしれない・・と不思議な気持ちになった。



『血』とは、怖いものだと思った。


そして母が『これで、長年の心のわだかまりが消えた』と笑顔で私に告げた。
母曰く、ずっと・・恥ずかしいと思ってきたそうだ。


私は、自分の中に、このような性癖を母の責任にするつもりは
毛頭ない。


ただ、私が、こうなってしまった『理由』のいくつかには・・・なっていると思う(笑)。



『厳格な躾』。



そしてもう一つ・・脈々と受け継がれてきた『妖しい存在』。
城主自体も、側室の息子であることをウキペディアで知った。


物のように扱われる『側室』の『血』と
物のように扱う『城主』の『血』を受け継いだ存在は
『MでもありSでもある』


SM嗜好は・・・・こういう所から来ているような気がした。


私は、礼服の上にこのコートで『偲ぶ会』に参加した。



真実は、意外と面白いものだと思った(笑)
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